後ろ向き太郎の後ろ向き日記

DIY、エアガン、武器、コインが好きです。

戦士になりたい少年とプリンセスになりたい少女を経て

今回のエントリはポエムです。出典もないし特に意味はありません。

あと男女の役割や個性を決めつけたり、ケチをつけるつもりもありません。

私は男女が社会的性差にとららわれることなく、自由に活躍できる社会を応援しています。

 

息子は手に持ちよい棒を見つけると銃や剣に見立て、振り回してなんらかの敵と戦うポーズをします。

娘はフワフワのドレスと輝くクラウンに憧れ、テレビ番組に出てくるお姫様に憧れを抱いています。

どちらも特に「男の子はこう遊びなさい」「女の子はドレスを着たいよね」などと教えたわけでもないのに、男児なら一般的にはこうだよね、女児なら一般的にはこうだよね、という像をトレースしており、放っておいても自然とそういった考えに至るのだな、と感心しています。

もちろん、それは個人の自由であって、剣とアクションに憧れる女児がいても、ドレスに憧れる男児がいても私は否定しません。

実際のところは、女児も男児も「いい感じの棒」と「いい感じの石」を好ましく思い、叩いて遊んだり投げて遊んだりします。子どもの頃は誰しもどちらかを集めた記憶があるかと思います。

これは思うに人間の根源的な、人間が人間たるゆえんである「道具を使う」という本能を満足させるために必要な過程なんだと思っています。

 

進化論を小学生レベルに捉えている私の考えですが、人類が道具を使う前はただの猿の中に棒を振り回したり石を投げるのが好きな猿がいたではないかと思っています。

その猿は棒をとても気に入っていたので、他の猿が行う爪と牙を使う狩りにも棒を持っていった。

狩りの最中、本来なら自分の爪では届かなかったり、威力が足りない場面で、棒で獲物を叩くことによって狩りに成功した。

その個体においては、一度成功した方法は覚えているでしょうから、棒を使った狩りや戦いを覚えていき、生存率も上がり群れの中での地位もあがっていき子孫を残せた。

これはあくまで例えば、ですがこういった種類の成功を重ねていって、道具を使う人類が現れてきたのはないかと思っています。

そのため、棒に限らず人間が「道具を好きになる」のは本能的なものであって、「道具が欲しくなる」のも本能的な衝動なんですね。

特に「武器が欲しくなる」なんてものはものすごく人間らしくないですか?私も割と人間味のある方だったんですね。

少し話が反れましたが、男の子は最初から、おそらく本能的に道具を使って戦うのが好きだと思います。

少し成長すると、フィクションなどを見てヒーローに憧れるようになります。

人間は大昔から社会性動物でしたので、男性が大型の獣や外敵から群れを守る役割をしてきたものと思われます。狩猟時代も農耕時代も、女性は群れでコミュニティを守り、男性は狩りや群れの保護を担当してきたのではないかと思います。

そういった人類の歴史を経てきて、少年は本能的に誰かを守る「戦士」に憧れるのではないか、と思ったのです。

いっぽう、女の子ももちろん棒で叩きあったりすることも好きですが、やはりきれいなドレスを着て、皆から注目される「プリンセス」に憧れを抱くようになります。

男の子も服や身に付けるものにこだわりがあったり、注目を抱きたいという願望はありますが、身に付けたいものは自分の好きなキャラクターや動物だったり、注目されたいというのもかまってもらいたかったり自分の能力をアピールしたいというように思います。

男の子がアクセサリーを身に着けたがったり、着飾りたくなるのは中学生くらいから、というイメージなので女の子のほうがそういった願望を抱くのは早いと思っています。

野生動物では、本来クジャクのようにオスのほうが着飾ったり、他の鳥のようにいい声で鳴いたりしてアピールする動物のほうが多いと思います。

同種の他のオスを出し抜いて、メスにアピールして種を残してきた歴史があるからです。

ところが人間は、一般的には着飾るのは女性の方が優勢です。

もちろん女性がオシャレをしてきれいなメイクをするのは男性にアピールするためではなく自分が楽しむためです。

なんのためか、という点は置いておいて、着飾って自らをよく見せようという欲求は女性の方が強いと思います。

原始的な人類の群れの中で、女性が地位を向上していく手段としては立場の高いオスにアピールして、最終的にはボスの配偶者になることを目指してきたのではないかと思います。

ボスの配偶者になる、つまりは近代社会でいうところのプリンセスを目指してきた歴史があって女の子はプリンセスになりたいのではないか、と私は思っています。

一方大部分の男の子は剣と盾で戦うナイトになりたい憧れを、10代後半には捨ててしまっているように思います。

20代を過ぎて剣のおもちゃを持って「カキンカキン!」とやっている(私のような)人は少数派だと思います。

少年時代を過ぎた大人は、皆「群れのボス」を目指して突き進んでるのはないでしょうか?

仕事を一生懸命にこなしたり、自ら企業を興したりして、最終目標としては組織のボスを目標に進んでいるように思います。

こう表現すると女性は地位の高い男性を得るために生きていると言いたいのかと思われそうですがそうではありません。あくまでそれは原始時代の女性の話です。

現代になっては、大人の女性は何になりたいのかは私にはわかりません。私は男性だからです。

こじつけらしい点が多いですが、男性の根本的な欲求と女性の根本的な欲求の違いは、社会に無理やり押し付けられたからそうあるわけではなく、有史以来よりよほど長いであろう歴史に残っていない原始的社会の構造から来ているのではないか、と私は思うのです。

少し話が戻りますが、群れのボスを目指す男性と戦士でいたい男性、どちらも一定数存在したほうが群れの存続には有効ですね。

もしすべての男性がボスの座を狙って戦っていては群れが常に内戦状態になってしまい外敵から群れを守ることができません。

私のように出世欲のない男性は居るべくして居る、本能的に一定数発生するものなのかもしれませんね。

列島の考古学 旧石器時代

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  • 作者:堤 隆
  • 発売日: 2011/05/14
  • メディア: 単行本